丸川商店 スタッフブログ カートの中を見る
Home Fabric Hand made Stationery Kitchen Bag Other Contact us
> ホーム > 私達について
About us
丸川商店は、株式会社イストグラフが企画制作したオリジナル商品を販売するショップの屋号およびオリジナル商品のブランド名です。小さな小さなお店には、店主、丸川竜也の出身地、三重県松阪市の無形民俗文化財である伝統民芸品「松阪もめん」を使用したオリジナル商品や、コンセプトに共感した種々の商品など、他では見かけないめずらしい商品をお買い求めいただけます。

その昔、同じく松阪出身の商人「三井高利」が江戸(現在の東京)に開いた「越後屋(現在の三越)」の「現銀掛値なし、切売り」等の画期的商法の成功もあって、松阪もめんは、江戸の大ヒット商品でした。現在も、職人の手によって生産は続けられていますが、それでも、松阪もめんを知る人は少なくなってしまいました。そこで、この素晴らしい伝統民芸品を、再び多くの方に知ってもらいたいと思い立った僕たちは、松阪もめんに現代デザインの感覚を取り入れた新たな商品を企画制作し、それらを販売するお店を開こうと考えました。そうして生まれたのが、丸川商店です。

丸川商店のお店がある「東京都江東区清澄」は、「松尾芭蕉(三重県伊賀市出身)」や「本居宣長(三重県松阪市出身)」が暮らした場所でもあります。また、江戸で松阪もめんを販売していた松阪商人が、数多く暮らしていたとされる深川地区でもあり、松阪もめんを販売するには最適な場所といえます。由緒あるお寺が数多く点在し、清澄庭園や七福神巡りなどでも知られる清澄。隅田川に面した緑多き街は、最近では、ジャーナリストやアート関係者が注目している場所でもあると聞きます。「ヨーガン・レール」や「小山登美夫ギャラリー」などの「清澄ギャラリー」のある街、と言えばピンと来る方もいらっしゃるのではないでしょうか。
春には小名木川や清澄公園に満開の桜がお目見えします。ちょっとした散歩にも最適な所ですので、お近くにお越しの際はどうぞお気軽にお立ち寄り下さい。
 
住所
東京都江東区清澄2-13-5
電話
03-3641-5382
ファックス
03-3641-5383
営業時間
月〜土:11:00〜19:00
日祝祭:11:00〜18:00
定休日
不定休
アクセス
大江戸線・半蔵門線
清澄白河駅 A1出口 徒歩3分
駐車場
コインパーキングをご利用下さい
 
About Matsusaka Momen
 
藍染め 「松阪もめん」
 
五世紀の後半、現在の三重県松阪市に渡来した「漢織」や「呉織」によって、日本で初めて紡織のメカニズムが持ち込まれました。 その後は高度な技術によって、当時の日本の一大紡織の中心地となり、さらに六九八年、アマテラスの神に織物を献納することを義務づけられることになります。 十五世紀になると、エジプトやインドを原産地とする「木綿」が日本に伝えられます。 暖かく丈夫な木綿は「天下の霊財」とまで讃えられ、良質な木綿を栽培するのに適した松阪市の土壌と、古代よりの高度な紡織技術が出会い、十六世紀初頭に「松阪もめん」が生まれました。 その後は、江戸(東京)に店を構えた松阪商人の才覚と、それを織りあげる松阪の女性たちの美意識によって、当時の江戸の人口の半分に相当する、年間五十数万反の売り上げを誇るほどの一大衣料革命を巻き起こしました。

松阪もめんの特徴である縦縞は「松阪縞」とも言われ、ベトナムから渡ってきた「柳条布」がそのルーツだと言われています。 「柳条布」は、文字通り、柳の葉の葉脈のような細い筋模様で、「千筋」や「万筋」などと呼ばれる、松阪もめんの最も古典的な柄です。 現在でも、歌舞伎役者が縞の着物を着ることを「マツサカを着る」と呼ぶことからも、縞といえば松阪もめんが代表的な存在であったことがわかります。 気質や態度、身なりなどがさっぱりとあかぬけしていて、しかも色気があり、無駄に飾りたてず、派手に目立たぬことを「粋」と呼び、その「粋」を誇りとした江戸の庶民にとって、すこし離れると地味な無地に見えるが、よく見れば繊細なすっきりとした縦縞が走る松阪もめんは、正藍染めの糸を使い、洗うほどに深みを増す藍の青さを連ねた縞模様と素朴な風合いとが相まって、まさに「粋」の象徴でありました。 そして現在、松阪もめんの紡織習俗は、国の無形民俗文化財として見直され、見事によみがえりつつあります。 古人は言います。 「もめんは一日も欠くべからざる宝物、霊財なり」と。

私たちは、「粋」の精神に基づき、独自のセンスによってアレンジした作品を作っています。ともすれば、忘れ去られてしまいそうなものですが、何百年、何千年経とうとも、人の本質が変わることはありません。 江戸の庶民が誇りとした「粋」の精神は、今もこうして、あなたの手に、渡されていくのですから。
Japanese Indigo dyeing “ MATSUSAKA MOMEN ”
 
In the latter half of the fifth century weaving technologies called "AYAHATORI" and "KUREHATORI" were developed in the present day city of Matsusaka. Matsusaka became a very important centre in Japan for fabric production due to the introduction of these new technologies. In the year 698 textiles produced in Matsusaka were commissioned as regular offerings to the God Amaterasu. When Cotton originally from Egypt and India found its way to Japan in the 15th century, it became immediately popular among the public in Japan. It was found that conditions in Matsusaka were very good for production of this new material. This new material and the weaving technologies already in place in Matsusaka led to the birth of "Matsusaka momen" in the early 16th century. The artistic taste of the women producing this new cloth coupled with the skill of Merchants from Matsusaka led to annual sales in stores in Tokyo of 500,000 units equivalent to half of the population of Edo.

The distinctive stripped pattern of Matsusaka momen which also became know as "Matsusaka jima" found its roots in a cloth called "RYUJOUFU" originally from Vietnam. Ryujoufu as the name literally suggests resembles the strong thin pattern of the veins running through the willow tree leaves. The thin striped patterns called "SENSUJI" and "MANSUJI" became the traditional patterns for Matsusaka momen. Even in present day when Kabuki actors wear a stripped kimono they refer to it as wearing a Matsusaka. Such is the powerful association between Matsusaka momen and the stripe. "IKI" a concept held in great regard by people in Edo was a way of life in which they acted and appeared sophisticated, educated but cool without looking gaudy and outlandish. Matsusaka momens stripes when viewed from a distance appearing almost invisible but their delicacy and beauty appearing only when view close to, fit in perfectly with the IKI concept. So the people of Edo became to regard Matsusaka momen as a symbol of IKI. The changes in the cloths color due to washing only adding to its IKI value. The manufacturing process of Matsusaka momen is now regarded as a national treasure. Old people often say cotton is something they can’t live without even for one day, it is such a powerful spiritual asset.

Our unique products are designed and arranged in line with this spirit of IKI. The unforgettable spirit of IKI lives on in these small goods. The pride of IKI will be passed along through them.
Profile
 
1972年 三重県松阪市に生まれる
1997年 東京での生活がスタート
2000年 イストグラフ発足
2007年 (株)イストグラフ設立
2008年 丸川商店ブランド立ち上げ
>> ブログはこちらから
丸川商店 店主
丸川竜也(Tatsuya Marukawa)
僕は、松阪生まれの松阪育ち。25歳で東京に出てきてからも、お盆とお正月には必ず帰省するほどの田舎っ子です。松阪は山や川といった自然環境にも恵まれ、松阪牛や本居宣長などでご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。三重県全体で言うと、伊勢神宮のある伊勢や、忍者の伊賀、日本一短い名前の津とかに隠れがちだけど、現在の三越を築いた三井高利をはじめとした、多くの商売人達が生まれ育った町としても有名で、今でも、サラリーマンの数よりも、商売をしている人のほうが多いのでは、と言われているほど、商売と強く結びついている町でもあります。

松阪もめん(木綿)自体は、子供の頃から知っていました。というよりも、小学生の頃、歴史博物館みたいな場所に社会見学とか遠足とかで行くことがあったので知っているという、その程度の認識なのですが。
正直、新しいもの好きだった僕には、その歴史も、その魅力も、よくわからないものでした。比較的、新しいもの好きのままで東京にやってきた僕でしたが、デザインを勉強していくうちに、近代的なデザインよりもむしろ、民芸品的なデザインの魅力に魅了されていき、やがて、用の美という哲学にも似た思想に心を打たれました。足すのでもなく、引くのでもない。ただそうすればいいというデザインではなく、必要ならば足し、必要ならば引く。そんな「凛々しさ」に感動するうちに、ふと、子供の頃に見た、松阪もめんのことを思い出しました。恥ずかしながら、その時に初めて、松阪もめんの歴史や素晴らしさに気がついたのです。それからは、地元松阪のいろいろな伝統品に興味を持ちはじめ、さらには、三重県のほかの町にも、たくさんの素晴らしい伝統産業があることを知りました。僕はなんと素晴らしいものに囲まれて暮らしていたのだろうかと、そこにいた時には、まるで気がつかなかったものたちに、恥ずかしさと後悔でいっぱいになりました。

今では、松阪もめんを、僕なりの感覚でデザインし、さらには、地元で育てられる無農薬のお茶のブランド作りに参加して販売もはじめました。今後も、多くの三重県発の伝統産業に触れ、なにか出来ればいいなと思っています。
「ものづくりの原点は?」とよく聞かれます。原点と言われて思いつくのは小学生のとき。明日の授業で、手持ちのキャンドルスタンドを持っていかなくてはいけないことを両親に話したとき、すでに夜だったので、「今頃言っても用意できない」と言われ、早く言わなかった僕が悪いんだけど、それでも納得できずに、泣いて、ごねて、両親を困らせたことがありました。明日、学校で、ひとりだけ恥ずかしい思いをすることに、不安と悲しさがどんどん沸いてきて、泣き疲れて眠るまで、大声で泣いていました。

実家の家は、トイレとお風呂が別棟にあるという、典型的な田舎の家です。いつもは眠る前にちゃんとトイレに行っておくのですが、泣くのに忙しかったことと、僕の部屋は2階にあって、トイレに行くには、両親がいるであろうダイニングキッチンを通らなければならないこともあって、その夜はトイレをせずに眠ってしまいました。ですが、案の定、夜中の12時頃にトイレに行きたくなって起きました。仕方ないという気持ち半分、もう半分はすでに寝ぼけていたこともあって、すんなりとキッチンを通り、ドアを開けて別棟に向かいました。
その時、敷地内の倉庫で、父が一人、かなづちで何やらコンコンドンドンやっています。仕事の何かだろうと思い気にしませんでしたし、「今頃言っても用意できない」と冷たくあしらわれたことで、多少の怒りもあったので、トイレだけ済ませて、さっさと2階へ戻りました。

夜が開け、目が覚めると、今日、学校で起こる悲惨な状況を想像して、かなりへこみながら1階へ降りていきました。すでに父は仕事に出かけて留守でしたが、キッチンのテーブルに、なにやら見慣れないものがあります。それは、父が仕事で使う「銅版」で作られた、手作りのキャンドルスタンドでした。「そうかあ、昨夜のコンコンドンドンは、これを作ってくれとったんやあ。」 子供の僕でも、それはすぐにわかりましたし、それはもう、「感動」の一言です。ピッカピッカに、神々しい光を放つそれを見て、僕は一気に有頂天。はしゃぐわ、笑うわで、母親に叱られます。でも、そんな事は気にしません。さっきまで、あれほど学校に行きたくないと思っていた僕は、早く学校に行きたくてたまりませんでした。
学校に行ってみると、実際にキャンドルスタンドを持ってきていたのは、クラスの3分の1だけ。それはそうです。田舎の家に、そうそうキャンドルスタンドなどというシャレたものなどあるはずもありません。あるとすれば、仏壇にある「ロウソク立て」くらいのものです。でも、僕は違います。僕はまるで、それで変身でもする気なのかというくらいに、自慢のキャンドルスタンドを、高々と掲げました。クラス中のみんなが、「すごい!すごい!かっこいい!」と騒ぎ、先生までも、「これはすごい!見事だなあ。」と感心しきっきり。僕の有頂天は、すでに太陽系を超えていました。あの時の、クラスのみんなと先生の、感嘆の声と驚きの顔と賞賛の嵐を、今でもはっきりと覚えています。

父が家に戻ってきたとき、僕は玄関まで走っていき、今日起きた、僕のスーパースターなサクセスストーリーを、つたない言葉で、しかも猛烈なスピードで話しました。父は小さな笑顔で、「はいはい、よかったなあ。俺は疲れとんねん。ごはん、ごはん。」と言って、キッチンへ向かいました。きっと、父も、嬉しかったのではないでしょうか。

残念ながら、今、そのキャンドルスタンドは残っていませんが、父は、県の技能大会で何度も優勝している、腕のいい瓦職人です。僕はあの時に、「もの」を作って、それで誰かを幸せな気持ちにさせることのすばらしさを教えてもらいました。本当にろくでもない息子ですが、彼の息子に生まれたことを心から誇りに感じた、人生で最初の経験だったと思います。

今、僕はものづくりの世界にいます。父のような一級品の職人にはなれませんでしたが、それでも、僕は僕なりの表現を追及していきたいと思っています。そして、一人でも多くの人を笑顔にできる作品を作っていきたい、言うなれば、父が夜を徹して作ってくれた、あるキャンドルスタンドに、僕がデザインしたキャンドルを立てて、その光で、人を笑顔にしていく。そんなものづくりの活動が出来れば、こんなに幸せなことはありません。


丸川商店という屋号は、僕のおじいちゃんが営んでいた、駄菓子や日用品を売るお店の名前でした。僕の父は、その商売を継がなかったかわりに、屋号だけは引継ぎ、丸川商店の屋号で、屋根工事の会社を始めました。そして僕も、屋根工事の会社を継がなかったのですが、どうしてもこの屋号だけは引き継ぎたいと常々考えていました。そこで今回、このお店を始めることで、ようやくその思いが叶いました。丸川商店のロゴは、もともとあったロゴを、僕が新しくデザインしなおしました。英語表記の中で、「SHOOOTEN」と、“O”が3つあることにお気づきでしょうか?これは、丸川商店の屋号を継いだ「3代目」であるという、僕なりの、小さなこだわりです。

今後は、オリジナル商品のデザインを更に進めていき、自分の世界観を追求、表現していきたいと思っています。そしてもちろん、微力ながら、地元松阪に伝わる、数々の伝統産業を応援する活動を続けていき、少しでも故郷への恩返しとなれば、と思っています。広い世界へ飛び出したいと、地元を離れた僕が、今では松阪の自然に夢中になっている。自分でも大変不思議ですが、この心や感覚の変化が、最近では楽しくて仕方がありません。  (丸川竜也)

ホーム | 私達について | 注文方法・送料 | 特定商取引法の表記 | プライバシーポリシー | サイトマップ | お問い合わせ