丸川商店について




丸川商店は、株式会社イストグラフが企画制作したオリジナル商品を販売するブランド名です。丸川商店店主・丸川竜也は、昭和四七年、三重県松阪市に生まれました。平成九年に上京後、独学でデザインを学び、平成十二年にデザイン事務所「イストグラフ」を設立、現在もウェブやグラフィックなどの様々なデザイン制作やディレクション業務等を行なっています。平成十八年には、自らデザインした商品を制作・販売するブランドとして「丸川商店」を立ち上げ、現在は、その継承が危惧される出身地の伝統工芸「松阪木綿」の再興に力を入れています。今後は、松阪木綿だけでなく、地元三重県の伝統工芸品の再興へ向けて、新たな取り組みを続けていきます。

住所
: 〒135-0021 東京都江東区白河2-3-2(地図
電話
03-3641-5382
ファックス
: 03-3641-5383
営業時間
: 月〜金:10:00〜18:00
定休日
: 土日祝
アクセス
: 大江戸線・半蔵門線 清澄白河駅 B2出口 徒歩2分 (※清澄白河駅の各種情報はこちら
駐車場
コインパーキングをご利用下さい
メール
店主 丸川竜也ブログ
株式会社イストグラフ代表
1972年三重県松阪市生まれ

僕は、松阪生まれの松阪育ち。25歳で東京に出てきてからも、お盆とお正月には必ず帰省するほどの田舎っ子です。松阪は山や川といった自然環境にも恵まれ、松阪牛や本居宣長などでご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。三重県全体で言うと、伊勢神宮のある伊勢や、忍者の伊賀、日本一短い名前の津とかに隠れがちだけど、現在の三越を築いた三井高利をはじめとした、多くの商売人達が生まれ育った町としても有名で、今でも、サラリーマンの数よりも、商売をしている人のほうが多いのでは、と言われているほど、商売と強く結びついている町でもあります。

松阪もめん(木綿)自体は、子供の頃から知っていました。というよりも、小学生の頃、歴史博物館みたいな場所に社会見学とか遠足とかで行くことがあったので知っているという、その程度の認識なのですが。

正直、新しいもの好きだった僕には、その歴史も、その魅力も、よくわからないものでした。比較的、新しいもの好きのままで東京にやってきた僕でしたが、デザインを勉強していくうちに、近代的なデザインよりもむしろ、民芸品的なデザインの魅力に魅了されていき、やがて、用の美という哲学にも似た思想に心を打たれました。足すのでもなく、引くのでもない。ただそうすればいいというデザインではなく、必要ならば足し、必要ならば引く。そんな「凛々しさ」に感動するうちに、ふと、子供の頃に見た、松阪もめんのことを思い出しました。恥ずかしながら、その時に初めて、松阪もめんの歴史や素晴らしさに気がついたのです。それからは、地元松阪のいろいろな伝統品に興味を持ちはじめ、さらには、三重県のほかの町にも、たくさんの素晴らしい伝統産業があることを知りました。僕はなんと素晴らしいものに囲まれて暮らしていたのだろうかと、そこにいた時には、まるで気がつかなかったものたちに、恥ずかしさと後悔でいっぱいになりました。

今では、松阪もめんを、僕なりの感覚でデザインし、さらには、地元で育てられる無農薬のお茶のブランド作りに参加して販売もはじめました。今後も、多くの三重県発の伝統産業に触れ、なにか出来ればいいなと思っています。



「ものづくりの原点は?」とよく聞かれます。原点と言われて思いつくのは小学生のとき。明日の授業で、手持ちのキャンドルスタンドを持っていかなくてはいけないことを両親に話したとき、すでに夜だったので、「今頃言っても用意できない」と言われ、早く言わなかった僕が悪いんだけど、それでも納得できずに、泣いて、ごねて、両親を困らせたことがありました。明日、学校で、ひとりだけ恥ずかしい思いをすることに、不安と悲しさがどんどん沸いてきて、泣き疲れて眠るまで、大声で泣いていました。

実家の家は、トイレとお風呂が別棟にあるという、典型的な田舎の家です。いつもは眠る前にちゃんとトイレに行っておくのですが、泣くのに忙しかったことと、僕の部屋は2階にあって、トイレに行くには、両親がいるであろうダイニングキッチンを通らなければならないこともあって、その夜はトイレをせずに眠ってしまいました。ですが、案の定、夜中の12時頃にトイレに行きたくなって起きました。仕方ないという気持ち半分、もう半分はすでに寝ぼけていたこともあって、すんなりとキッチンを通り、ドアを開けて別棟に向かいました。その時、敷地内の倉庫で、父が一人、かなづちで何やらコンコンドンドンやっています。仕事の何かだろうと思い気にしませんでしたし、「今頃言っても用意できない」と冷たくあしらわれたことで、多少の怒りもあったので、トイレだけ済ませて、さっさと2階へ戻りました。

夜が開け、目が覚めると、今日、学校で起こる悲惨な状況を想像して、かなりへこみながら1階へ降りていきました。すでに父は仕事に出かけて留守でしたが、キッチンのテーブルに、なにやら見慣れないものがあります。それは、父が仕事で使う「銅版」で作られた、手作りのキャンドルスタンドでした。「そうかあ、昨夜のコンコンドンドンは、これを作ってくれとったんやあ。」 子供の僕でも、それはすぐにわかりましたし、それはもう、「感動」の一言です。ピッカピッカに、神々しい光を放つそれを見て、僕は一気に有頂天。はしゃぐわ、笑うわで、母親に叱られます。でも、そんな事は気にしません。さっきまで、あれほど学校に行きたくないと思っていた僕は、早く学校に行きたくてたまりませんでした。

学校に行ってみると、実際にキャンドルスタンドを持ってきていたのは、クラスの3分の1だけ。それはそうです。田舎の家に、そうそうキャンドルスタンドなどというシャレたものなどあるはずもありません。あるとすれば、仏壇にある「ロウソク立て」くらいのものです。でも、僕は違います。僕はまるで、それで変身でもする気なのかというくらいに、自慢のキャンドルスタンドを、高々と掲げました。クラス中のみんなが、「すごい!すごい!かっこいい!」と騒ぎ、先生までも、「これはすごい!見事だなあ。」と感心しきっきり。僕の有頂天は、すでに太陽系を超えていました。あの時の、クラスのみんなと先生の、感嘆の声と驚きの顔と賞賛の嵐を、今でもはっきりと覚えています。

父が家に戻ってきたとき、僕は玄関まで走っていき、今日起きた、僕のスーパースターなサクセスストーリーを、つたない言葉で、しかも猛烈なスピードで話しました。父は小さな笑顔で、「はいはい、よかったなあ。俺は疲れとんねん。ごはん、ごはん。」と言って、キッチンへ向かいました。きっと、父も、嬉しかったのではないでしょうか。

残念ながら、今、そのキャンドルスタンドは残っていませんが、父は、県の技能大会で何度も優勝している、腕のいい瓦職人です。僕はあの時に、「もの」を作って、それで誰かを幸せな気持ちにさせることのすばらしさを教えてもらいました。本当にろくでもない息子ですが、彼の息子に生まれたことを心から誇りに感じた、人生で最初の経験だったと思います。

今、僕はものづくりの世界にいます。父のような一級品の職人にはなれませんでしたが、それでも、僕は僕なりの表現を追及していきたいと思っています。そして、一人でも多くの人を笑顔にできる作品を作っていきたい、言うなれば、父が夜を徹して作ってくれた、あるキャンドルスタンドに、僕がデザインしたキャンドルを立てて、その光で、人を笑顔にしていく。そんなものづくりの活動が出来れば、こんなに幸せなことはありません。



丸川商店という屋号は、僕のおじいちゃんが営んでいた、駄菓子や日用品を売るお店の名前でした。僕の父は、その商売を継がなかったかわりに、屋号だけは引継ぎ、丸川商店の屋号で、屋根工事の会社を始めました。そして僕も、屋根工事の会社を継がなかったのですが、どうしてもこの屋号だけは引き継ぎたいと常々考えていました。そこで今回、このお店を始めることで、ようやくその思いが叶いました。丸川商店のロゴは、もともとあったロゴを、僕が新しくデザインしなおしました。ドメイン(URL)の中で、「SHOOOTEN」と、“O”が3つあることにお気づきでしょうか?これは、丸川商店の屋号を継いだ「3代目」であるという、僕なりの、小さなこだわりです。

今後は、オリジナル商品のデザインを更に進めていき、自分の世界観を追求、表現していきたいと思っています。そしてもちろん、微力ながら、地元松阪に伝わる、数々の伝統産業を応援する活動を続けていき、少しでも故郷への恩返しとなれば、と思っています。広い世界へ飛び出したいと、地元を離れた僕が、今では松阪の自然に夢中になっている。自分でも大変不思議ですが、この心や感覚の変化が、最近では楽しくて仕方がありません。